説話徹底解説ブログ

「話の内容が分からないから古文はつまらない」そう思って投げだした経験はありませんか? 当ブログではそのような方のために説話の内容を簡単に、かつ明確に解説していきます。日本の原点である当時の説話文学を読んで、古典の世界に浸かってみませんか?

日本霊異記 上巻 三宝を信敬したてまつりて現報を得し縁 第五 中編

 みなさんこんにちは!文です。

 

第五話は前・中・後編に分けて投稿する予定です。

今日中に第五話は全部投稿しますね!

 

 

ayanohakotonoha.hatenablog.com

 ↑前編はこちらからどうぞ!

 

本文

⑤皇后癸丑の年春の正月に、小墾田の宮に即位し、三十六年宇御めたまひき。元年の夏の四月庚午の朔(つきたちのひ)にして己卯に、厩戸の皇子を立てて皇太子としたまふ。即ち屋栖古の連の公を以て大使の肺脯(しふ)の侍者としたまふ。

 

天皇のみ代十三年乙丑の夏の五月の甲寅の朔にして戊午に、屋栖古の連の公に勅して曰はく、『汝の功は長遠(とこしへ)に忘れじ』とのたまひ、大信位を賜ひき。十七年己巳の春の二月に、皇太子、連の公に詔して播磨国揖保郡の内二百七十三町五段余の水田の司に遣はす。二十九年辛巳の春の二月に、皇太子の命、斑鳩の宮に薨(みまか)りたまふ。屋栖古の連の公、其の為に出家せむことを欲ふ。天皇聴したまはず。

 

⑦四十八年甲申の夏の四月に、一の大僧有りて、斧を執りて父を殴ふ。連の公見て、直ちに奏して白さく、『僧尼の澰挍には中に上座を置き、悪を犯さむときには是非を断らむべし』とまうす。天皇、勅して、『諾なり』と曰ふ。連の公、勅を奉りて澰(かむが)ふるに、僧八百三十七人、尼五百七十九人なり。観勒僧を以て大僧正とし、大信屋栖古の連の公と○部徳積とを以て僧都とす。

 

現代語訳・解説

 ⑤皇后は、即位して推古天皇となります。そして四月十日、厩戸皇子を皇太子に立てます。聖徳太子が再び登場ですね!そして屋栖野古を皇太子の従者としました。

 肺脯の従者=なくてはならない、腹心の従者

 

推古天皇の代、十三年に天皇屋栖野古へ詔を下します。そして「大信の位」を贈ります。「大信の位」は、冠位十二階の七番目の位です。

そして聖徳太子は十七年、屋栖野古播磨国の揖保郡にある水田の司に任命しました。二十九年には太子が亡くなってしまいます。屋栖野古はそれを受けて出家したいと願出でましたが、推古天皇はこれを許しませんでした。

事実の羅列、という感じの段落ですね。

 

⑦四十八年の夏に、ある高僧が斧で父親を殴るという事件が起きました。

これを知った屋栖野古は、推古天皇に「僧尼の籍から、上位の僧や尼を選んで、犯罪を犯したときにはその者たちに取り締まりをさせるべきだ」と奏上しました。天皇は「ごもっともだ」とこれを承認します。

 *うべなり=ごもっともだ、本当に道理にかなっている

屋栖野古は籍を調査して、僧と尼の人数を把握しました。その中から、僧の観勒を大僧正(最高位の僧)、屋栖野古と鞍作徳積を僧都(第二位の僧)に任命しました。

 

まとめ

いかがでしたか?

 

中編は、どちらかというとエピソードよりも事実を羅列しただけの話になっていますね。伝記からの引用であるという前編の記述から考えれば、このような話の作りも納得です。

 

今回は推古天皇の代の話でした。屋栖野古が僧籍を整えた、というのが主な内容でしたね。これは三宝のうちの「僧」にあたるところと言えるでしょう。

 

さて、いよいよ次回は後編、第五話も完結します。

お楽しみに!