説話徹底解説ブログ

「話の内容が分からないから古文はつまらない」そう思って投げだした経験はありませんか? 当ブログではそのような方のために説話の内容を簡単に、かつ明確に解説していきます。日本の原点である当時の説話文学を読んで、古典の世界に浸かってみませんか?

日本霊異記 上巻 三宝を信敬したてまつりて現報を得し縁 第五 後編

こんにちは!文です。

 

さて日本霊異記 上巻 第五話をお送りしています。今回は後編です。

 

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↑中編はこちらからどうぞ!

 

よろしければ前編・中編を読んでから後編をご覧くださいね。

 

それではさっそく読んでいきましょう!

 

本文

⑧三十三年乙酉の冬の十二月八日に、連の公難破に居住て忽に卒りぬ。屍に異香有りて馥れり。天皇勅して七日留めしめ、彼の忠を詠はしむ。

 

⑨逕ること三日にして、乃ち蘇め甦(い)きたり。妻子に語りて曰はく、『五つの色の雲有り。霓(にじ)の如くに北に度れり。其の雲の道よりして往くに、芳しきこと名香を雑ふるが如し。観れば道の頭(ほとり)に黄金の山有り、即ち到れば面炫く。爰に、薨りましし聖徳皇太子待ち立ちたまふ。共に山の頂に登る。其の金の山の頂に、一の比丘居り。太子、敬礼して曰さく、「是れは東の宮の童なり。今より已後、逕ること八日にして、応に鋸(と)き鋒に逢はむ。願はくは仙薬を服せしめたまへ」とまうす。比丘、環の一つの球を解きて授け、呑み服せしめて、是の言を作さく、「南无妙徳菩薩と三遍誦礼(ずらい)せしめよ」といふ。彼れより罷り下る。皇太子言はく、「速に家に還りて、仏を作る処を除へ。我悔過(けくわ)し畢らば、宮に還りて作らむ」とのたまふ。然して先の道を投りて還る。即ち見れば驚き蘇めたり』といふ。時の人名づけて、還り活きたる連の公と曰ふ。孝徳天皇のみ世六年の庚戌の九月に、大花上の位を賜ふ。春秋九十有余にして卒りき」。

 

⑩賛に曰はく、「善きかな、大部の氏。仙を貴び、法に○ひ、情を澄し忠を効し、命福共に存(たも)ち、世を逕て夭(なかなは)になりぬること无し。武は万機に振ひ、考は子孫に継がる。諒(まこと)に委る、三宝の験徳、善神の加護なりといふことを」といふ。

 

⑪今惟(おも)ひ推(たづ)ぬるに、ること八日にして、き鋒に逢はむと者へるは、宗我(そが)入鹿の乱に当る。八日とは八年なり。妙徳菩薩とは文殊師利菩薩なりけり。一つの玉を服せしめむと者へるは、難を免れしめむ薬なりけり。黄金の大和は五台山なり。東の宮とは日本の国なりけり。宮に還り、仏を作らむと者へるは、勝宝応真聖武大上天皇の日本国に生れたまひ、寺を作り、仏を作りたまふなりけり。爾の時に並(とも)に住む行基大徳は、文殊師利菩薩の反化なりけり。是れ奇異しき事なり。

 

 

現代語訳と解説

 ⑧三十三年、屋栖野古は死去します。彼の死体は「異香」すなわち「普通と異なるよい香り」がしていました。

『例文 仏教語大辞典』によると、異香は瑞祥の表れです。不思議な音色と香りは往生の象徴として描かれることが多いです。

推古天皇は、七日間、屋栖野古の遺体をとどめておくように命じました。

 

⑨しかしなんと、三日過ぎて屋栖野古が生き返ったのです。ここからは妻子に向かって語ったことが描写されています。

 

五色の雲があり、それは虹のように北へ渡っていました。その道を歩いていくと「芳しきこと名香」(異香と同じですね)がたちこめていました。

すると、道のほとりに黄金の山があります。この山に、亡くなった聖徳太子が立っていたのでした。そして太子と共に山頂に登っていきました。すると山頂に、一人の僧がいました。

太子は僧に向かって、「この者(=屋栖野古)は東の国(=日本国)にいた時の従者である。こやつは八日後に、するどい剣の難にあうことだろう。だからこの者に、仙薬を飲ませてやってくれ」と言いました。

すると僧は、数珠の中の一つの玉を屋栖野古に飲ませ、「南无妙徳菩薩と三遍誦礼せしめよ」と太子に言いました。言ったのは僧で、言われたのは聖徳太子、誦礼するのは屋栖野古ですよ。

聖徳太子屋栖野古にこう言います。「すぐに帰り、仏を造る場所を掃除しなさい。私は罪を悔い改め、宮に帰ってから仏像を造ろう」ここ大事ですよ。

 

すると屋栖野古は生き返ったのです。彼は「還り活きたる連の公」と呼ばれました。訳すとすれば、「よみがえった連の公」といったところでしょうか。

そして屋栖野古は、今度こそ本当に九十余歳で亡くなりました。

 

⑩賛には、「屋栖野古は立派な人間です。これは三宝の霊験によるものといえます。」とあります。

 

⑪これは作者のあとがき部分です。

八日後に、するどい剣の難にあう」というのは蘇我入鹿の乱にあたります。極楽浄土における八日というのは、現世の八年なのです。そして唱えるよう命じられた「妙徳菩薩」とは「文殊師利菩薩」のことだったのですね。

「仙薬を飲ませる」というのは災いを逃れさせる薬、「黄金の山」とは仏法の霊地である五台山のことです。

宮に帰ってから仏像を造」るというのは、聖武天皇が日本に生まれて寺院を作り、仏像を造るということでした。

聖武天皇が一緒に住んだという行基菩薩は、文殊師利菩薩の反化(=人間界に現われた姿)だったのです。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

屋栖野古」の死後のお話でした。といってもすぐ生き返りますが(笑)

 

屋栖野古三宝を信じ敬ったが故に、素晴らしく尊い存在となったのです。三宝の重要性を説く説話でした。

 

また最後に出てくる、聖武天皇聖徳太子の生まれ変わり、というのは非常に大切な文です。日本霊異記においては、聖徳太子聖武天皇が非常に崇拝されています。どちらも仏教を広めたからですね。

 

景戒の仏教愛を感じとりながら、第六話以降も読んでいきましょう。

 

三連続投稿、読んでいただきありがとうございました!

 

それではまた次回!!