日本霊異記 上巻 観音菩薩を憑み念ぜしによりて、現報を得し縁 第六
みなさんこんにちは!文です。
緊急事態宣言は今月末まで延長されるようですね。
適度に息抜きをしつつ、自粛生活も乗り切っていきましょうね!
さて本日は、日本霊異記の第六話です。
第四話、五話ととても長い説話でしたが、今回は短めの話になっています!
気楽に読んでいきましょうね
ayanohakotonoha.hatenablog.com
↑前回のお話はこちら!
それでは、第六話読んでいきましょう
本文
第一段落
老師行善は俗姓は堅部(かたしべ)氏、小治田(おはりだ)の宮に、宇御(あめのしたをさ)めたまひし天皇のみ代に、遣はされて高麗に学びき。其の国の破るるに遭ひて、流離して行きき。忽に其の河辺の椅(はし)壊れ、船無くして過ぎ渡るに由无し。断えたる橋の上(ほとり)に居て、心に観音を念じまつる。
第二段落
即時(すなはち)、老師舟に乗り迎へ逨り、同しく載せ共に渡る。渡り竟(を)へたる後に、舟より道に下りそときに、老公見えず。其の舟も忽に失せぬ。乃ち疑はくは観音の応化ならむかと。便ち誓願を発し、像を造り恭敬したてまつらむとす。遂に大唐に至り、即ち其の像を造り、日夜に帰敬せり。号をば河辺と曰ひき。
第三段落
法師の性(ひととなり)、忍辱、人より過ぎ、唐皇にも重みせらゆ。日本国の使に従ひて、養老の二年に本朝に帰り向ふ。興福寺に住み、其の像を供養しまつり、卒に息(や)めず。誠に知る、観音の威力の思議し難きことを。
第四段落
讚に曰はく、「老師、遠く学びて難に遭ひき。帰らむとするに由无し。済渡(わた)らむとして聖を憶ひ、椅の上にして威を馮(注:にじゅうあし)む。化翁来り資(たす)け、別れたる後に遄(たちまち)に翳(かく)れぬ。儀(すがた)を図し常に礼し、其の○を輟(や)めず」といふ。
現代語訳・解説
第一段落
老いた法師行善は、俗姓を堅部の氏といい、推古天皇の時代に留学生として高麗の国で学びました。
しかし高麗が滅亡し、行善はあてもなくさまよい歩いていました。そんな中ふと川を通りかかると、橋が壊れている上に船がなく、渡る方法がありません。
「忽ち」は「すぐに」と訳すことが多いですが、もう一つのニュアンスとして「ある動作や状態が、予期しないで突然起こるさまを示す」と『日本国語大辞典』に記されています。そこから「ふと」という訳が導き出せるのですね。この場合はたまたま通りかかったわけですから「ふと」が適切かと思います。
行善は壊れた橋の上におり、心から観音を祈りました。
第二段落
すると、一人の置いた翁が船に乗って行善を迎えに来て川を渡ります。渡り終わって船から道に上がり着き、振り返ると翁はいません。その上船もにわかに消えてしまいます(この場合の「忽ち」は「急に」「たちまち」というニュアンスですね)。
行善は、翁が観音の応化(現世に人間体として現れること)であったのではないかと思います。そこですぐに願を立て、仏像を造ってこれを敬おうと誓いました。そして彼は唐に着き、その通りにするのです。
このエピソードから行善は、「河辺法師」と呼ばれます。
第三段落
行善法師は、人よりも忍耐心が強く、唐の皇帝にも重用されました。そして彼は、遣唐使によって日本に帰ります。そして興福寺に住み、観音像を奉りました。
観音の霊威が不可思議で偉大な事がわかるだろう、と締めくくられます。
第四段落
讃ではこのように言われています。
行善老師は遠い国で学び、困難に遭いました。帰ろうとしたときに方法がなかったのです。渡ろうとして観音を念じ、その霊威にすがりました。その結果観音が化けた翁が迎えに来て助け、行善と別れた後にたちまち姿を消しました。そこで行善はその観音の姿を像にして常に礼拝し、勤行を辞めませんでした。
これは一~三段落のまとめですね。
まとめ
いかがでしたか?非常にわかりやすい文章・短いエピソードだったので、スイスイ読むことができた方が多いのではないでしょうか。
今回は観音のご利益によって助けられた行善法師のお話でした。
観音霊験譚は、霊異記のみならず仏教説話集には頻出の話です。注意して読みましょう。
また今回は「忽ち」という言葉が、同じ話の中でも違うニュアンスで出てきていましたね。
このように、一つひとつの語のニュアンスを正確に見抜くことが文章を正しく読むことのコツです。
本ブログでも、できるだけニュアンスの面からも解説していきたいと思っているので、一緒に学んでいきましょうね!
それではまたお会いしましょう。