説話徹底解説ブログ

「話の内容が分からないから古文はつまらない」そう思って投げだした経験はありませんか? 当ブログではそのような方のために説話の内容を簡単に、かつ明確に解説していきます。日本の原点である当時の説話文学を読んで、古典の世界に浸かってみませんか?

日本霊異記 上巻 亀の命を贖ひて放生し、現報を得て亀に助けらえし縁 第七

みなさんこんにちは!文です。

 

今日も今日とて死ぬほど暑いですね。

最近の日本には春がないように感じます(-_-;)

 

さて本日は第七話です。

本話には亀が出てきます。少し身近に感じられるのではないでしょうか。

 

それでは読んでいきましょう!

 

ayanohakotonoha.hatenablog.com

 ↑前回のお話はこちらから!

 

 

本文

第一段落

禅師弘済は百済の国の人なりき。百済の乱れし時に当りて、備後の三谷郡の大領先祖、百済を救はむが為に遣はされて、旅に運(めぐ)りき。時に誓願を発して言さく、「若し、平らかに還り卒らば、諸の神祇の為に伽藍を造り立てまつらむ」とまうす。遂に災難を免れき。即ち禅師を請けて、相共に還り来り、三谷寺を造る。其の禅師の造り立てまつりし所の伽藍多なり。諸寺の道俗之を観て共に欽敬(きむきやう)を為す。

 

第二段落

禅師、尊像を造らむが為に、京に上る。財を売りて既に金丹等の物を買ひ得たり。還りて難破の津に到りし時に、海辺の人、大亀を四口売る。禅師、人に勧めて買ひて放たしむ。即ち人の舟を借りて、童子を二人将て、共に乗りて海を度(わた)る。日晩(く)れ夜深(ふ)けぬ。舟人、欲を起し、備前の骨嶋(かばねじま)の辺に行き到り、童子等を取り、人を海の中に擲(な)げき。然る後に、禅師に告げて云はく、「速に海に入るべし」といふ。師、教化すと雖も、賊猶し許さず。茲に於て願を発して海中に入る。水、腰に及ぶ時に、石の脚に当りたるを以て、其の暁に見れば、亀の負へるなりけり。其の備中の海の浦海の辺にして、其の亀三たび領(うなづ)きて去る。疑はくは、是れ放てる亀の恩を報ぜるならむかと。

 

第三段落

時に賊等六人、其の寺に金丹を売る。檀越先に過り、量り贖ひ、禅師、後より出で見る。賊等慌然(たちまち)に退進を知らず。禅師、憐愍(あはれ)びて刑罰を加へず。仏を造り、塔を厳(かざ)りて、供養已に了(をは)る。後には海辺に住(とどま)り、来れる人を化す。春秋八十有余にして卒りぬ。畜生すら猶し恩を忘れずして恩を返報せり。何にか況や、義人(ひと)にして恩を忘れむや。

 

 

現代語訳・解説

第一段落

禅師の弘済は百済国の人である。百済が乱れた時に、備後国三谷郡の大領の先祖が、百済を救うために派遣され、百済に出発した。

 

百済が乱れる」というのは六六〇年の百済の乱の事です。百済新羅の間に起きました。また、「運る」というのは「出征する」という意味ですね。

 

その時願を発して、「もし無事に国に帰ることができれば、もろもろの神たちの為に寺と堂をお造りしましょう」と申した。そして災難を免れた。

そこで彼は、弘済を招き、共に新羅から帰って三谷寺を造った。その禅師の造った寺は多くある。諸寺の僧たちは、禅師とその寺をともにつつしみ敬った。

 

最後の文の「共に」というのは何かわかりますか? これは①禅師と②禅師の建立した寺の二つといえます。このように、目的語を的確に捉えるというのが古典の基本です。

 

第二段落

禅師は仏像を造るために京に上った。そして自らの財産を打って、金と丹(赤い染料)を買った。

 

金丹というと、不老不死の薬を思い浮かべる方が多いと思いますが、ここでは「金」と「丹」で分けて考えるべきでしょう。丹で赤い染料の意味になります。

 

帰る途中難波の海辺に来た時、海辺の人が大きな亀を四匹売っているところに出くわした。禅師は売人から、この亀を買い取った。そしてその亀を海に放ってやった。

そして子供二人と船に乗って海を渡ろうとする。その間に日が暮れて夜が来た。舟をこぐ人たちは欲を起こし、備前の骨嶋のあたりに着いた時に、子どもたちを海の中に投げてしまった。

そのあと禅師に「はやく海に入れ」と言った。禅師は教え諭したものの海賊たちは聞く耳を持たない。そこで願を立て、海の中にはいった。水が腰に及んだ時に、石が足に当たったのに気付いた。朝焼けの光で見ると、亀の上に立っていることに気付いた。

そして備中の海のあたりに来ると、亀は禅師を下ろした。亀は三度うなづいて去っていった。これは禅師が放った亀が恩返ししたものと考えた。

 

第三段落

その後海賊六人は、三谷寺で盗んだ金や染料を売った。檀家のものは値踏みして買おうとしているところ、弘済禅師が後ろから出てきた。海賊たちはびっくりし、進むも退くもできなくなってしまった。

しかし禅師は彼らを憐れんで、刑罰を加えなかった仏像を造り塔を飾り、落星の供養を終えた。

その後には海辺に住み、行き来する人を教化した。そして年齢は八十歳あまりで亡くなった。

 *春秋=年齢

畜生ですら恩を忘れず恩返しする。どうして人は恩を忘れるだろうか。

 

 

まとめ

いかがでしたか?

 

本話は亀の報恩譚です。有名どころで言うと、浦島太郎と同じ話の型ですね。

亀の報恩譚も、古典では頻出の話なので覚えておきましょう。

 

それではまた次回お会いしましょう!