日本霊異記 上巻 聾ひたる者の方広経典に帰敬しまつり、報を得て両つの耳ながら聞えし縁 第八
みなさんこんにちは!文です。
ゴールデンウィーク中は夏を思わせるような暑さでしたが、今日は少し肌寒いですね!
個人的にはこれくらいが過ごしやすくて良いです(⌒∇⌒)
↑外出自粛、こんな時には本を読みましょう!
ayanohakotonoha.hatenablog.com
↑前回のお話はこちらから
さて、本日は第八話です。
とある「障がい」をもった人が出てきます。このような話も実は仏教説話に頻出です。
どうしてなのか、というところはこのお話を読んでから考えてみましょう!!
本文
第一段落
少墾田の宮に宇御(あめのしたをさ)めたまひし天皇のみ代に、衣縫伴造義通といふ者有りき。忽に重病を得て両つの耳並に聾ひ、悪瘡(あしきかさ)身に遍(あまね)はり、年を歴れども兪えざりき。自ら謂(おも)へらく、「宿業の招く所なり。但に現報のみには非じ。長生して人の為に厭はれむよりは、善を行ひて遄(すみやか)に死なむには如かじ」とおもふ。
第二段落
乃ち地を喞(のご)ひ堂を餝(かざ)り、義禅師を屈請せむとす。先づ其の身を潔くし、香水を澡浴(かはあ)みて、方広経に依りき。是に希有なる想ひを発し、禅師に白して言さく、「今我が片耳に一はしらの菩薩のみ名を聞きたてまつるによりて、故、唯し願はくは大徳、労りを忍びたまへ」とまうす。
第三段落
後に禅師重ねて拝するに依りて、片耳既に開けぬ。義通歓喜して亦重ねて更に拝せむことを請ふときに、両つながら耳俱に開けぬ。遐(とほ)く近く聞く者、驚き怪しびずといふことなかりき。是に知る、感応の道諒に虚しからぬといふことを。
現代語訳・解説
第一段落
推古天皇の時代、衣縫伴造義通という者がいた。突然重い病にかかり、両耳が聞こえなくなり、悪性のできものが体にできてしまい、年月が経っても治らなかった。思うことには、「(この病は)前世に作った業に依るものだろう。ただ単に現世の行ないに対する報いだけではない。長生きをして人に疎まれるよりかは、業を積んで早く死んでしまうのがよい」と思った。
『業』という言葉が出てきます。
これは仏教語で、自らの意思によって行う行動のことを指します。また、業は善い行い・悪い行いどちらも指す言葉なのです。
そして重要なのは、業によって現世の身に影響があるのだということです。
業が善い行いなのか悪い行いなのか、というのは現世に起きている影響を考えればよいでしょう。ここでは「病を受ける」という悪い状況が義通に起きているので、前世の「宿業」というのは悪い行いと読み取れます。
そして来世に救いを求めている今、行うべき業は善い行いですね。
第二段落
そこで彼は土地を掃除して堂を飾り、義禅師を招き迎えた。まずは自らの身を清め、香水で体を洗って、方広経を読んだ。すると不思議な感じがあり、義禅師にこう言いました。
「今、私の片耳に一人の菩薩のお名前が聞こえます。なので大徳様、御苦労をおかけしますがそのまま拝み続けてくださいませ」
「香水」と聞くと、現代のいい香りのするスプレーを思い浮かべますよね。しかし仏教説話に出てくる「香水」は自らの身を清めるために使う水のことを指しています。このあたりは、少し現代と感覚が違いますから注意ですね。
第三段落
禅師は再び礼拝したことで、片方の耳が聞こえるようになった。義通はとても喜び、さらに礼拝することを頼むと、もう片方の耳もついに聞こえるようになった。このことを聞いたあちらこちらの者たちは、みな驚き不思議に思わない者はいなかった。
この話から、人と仏が心で通じ合うということは嘘ではないということがわかる。
「遐く近く」というのは「遠近」のことですね。これは「おちこち」と読み、「あちらこちら」ということを表わします。
また、「感応」というのは人の働きかけに仏が応える、という意味の仏教語ですね。
まとめ
いかがでしたか?
今回は両耳が聴こえなくなってしまった人間が、仏の力によって聴力を取り戻すという話から、感応の重要さを説くお話でした。
記事の初めに、このような障がいを持つ人を仏教説話で取り上げる意味とは何かと問いかけました。その理由、わかりましたか?
それは、このお話の第一段落にはっきりと描かれています。
義通が分析した障がいの理由は「宿業の招く所なり」。つまり前世の悪い行い。
これによって現報を受け両耳が聴こえなくなったのです。
つまり話のキモは「業」にあるということです。
悪いことをすれば現世のみならず来世にも影響を及ぼす。
だから常に善い行いをするべきなのだ、ということを説いているのですね。
このあたりをしっかりと理解しておくと、日本霊異記に流れる景戒の意図が読み取りやすくなるはずです。
それではまた明日お会いしましょう!