日本霊異記 上巻 僧の心経を憶持し、現報を得て奇しき事を示しし縁 第十四
どうもこんにちは!文です。
前回は現世の行いが現世のうちに報いとなって表れる、という趣旨のお話でした。
今回のお話はどのような趣旨があるのか注目しながら読んでみましょう。
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本文
第一段落
釈義覚は本百済の人なりき。其の国破れし時に、後の岡本の宮に宇御めたまひし天皇のみ代に当りて、我が聖朝(みかど)に入り、難破の百済寺に住りき。法師は身の長七尺ありて、広く仏教を学び、心般若経を念誦せり。
第二段落
時に同じ寺の僧慧義といふひと有りき。独り夜半を以て出で行く。因りて室の中を見るに、光明照り耀く。僧乃ち之を怪しびて、竊(ひそか)に牖(まど)の紙を穿ち窺ひ看るに、法師端坐して経を誦せり。光、口より出づ。僧、驚き悚ぢ、明くる日に悔過(けくわ)して周く大衆に告げき。
第三段落
特に覚法師、弟子に語りて言はく、「一夕、心経を一百遍ばかり誦じき。然る後に目を開けて観れば、其の室の裏の四壁、穿(う)げ通り、庭の中顕に見えたり。吾是に希有の想を生じ、室より出でて院内を廻(めぐ)り○(み)て、還り来りて室を見れば、壁と戸と皆閉ぢたり。即ち外にして後に心経を誦ずれば、前の如くに開け通れり」といへり。即ち是れ心波若経の不思議なり。
第四段落
賛に曰はく、「大きなるかな、釈子。多聞のして教を弘め、閉居して経を誦す。心廓(ほがら)かに融(かよ)ひ達(いた)る。現ずる所玄寂(げんじやく)なり。焉(いづく)にぞ動揺を為さむ。室壁開き通り、光明顕れ耀く」といふ。
現代語訳
第一段落
僧の義覚は元々百済の国の人だった。その国が滅亡した時は斉明天皇の時代にあたる。彼はその時に朝廷に入ってきて、難波国の百済寺に住んだ。法師は身長が七尺あり、広く仏教を学んで、般若心経を念誦していた。
第二段落
ある時、同じ寺の僧に慧義という人がいた。彼は一人夜中に寺を出ていく。すると義覚の部屋をみると光輝いていた。慧義は不思議に思ってこっそりと窓の紙に穴をあけて中を見ると、義覚は正座をして経典を誦していた。光は、義覚の口から出ていた。僧は驚き怖じ気付き、明くる日に他人の部屋を覗き見したことを後悔し、広く大衆に昨日見たことを告げた。
第三段落
すると義覚は弟子にこう語った。
「私は毎晩、般若心経を百遍ほど唱えた。その後目を開けて見てみると、その部屋の裏の四つの壁が抜け通っており、庭のなかははっきりと見えた。私は不思議だと思って部屋から出て、寺院の境内を一周し、帰ってきて部屋を見ると壁も戸もみな元通りになって閉じていた。そこで外に出て心経を唱えると、先ほどの通りに壁が抜け通って庭を見通すことができた」
これは般若心経の不思議な霊験である。
第四段落
賛にはこのようにある。
「偉大であるなあ、義覚は。多く勉強して外では経を教化し、また部屋にこもって般若心経を唱えた。心が開いて自由に突き抜けて部屋を往来することができた。また、いつもは物静かである。部屋の壁は開け通り、光が現れ輝いた」という。
解説
少しこれまでの説話とは趣が違いましたね。
今回も十三話と同じく、現世の行ない(般若心経を読み続けること)で現報を受ける(不思議な力を得る)という話です。
慈覚法師は体から光を放っていました。これは、仏と同じような境地に至っているということがわかります。
光を放つ=仏の境地
このような説話は他にもありますのでよく覚えておきましょう!
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