説話徹底解説ブログ

「話の内容が分からないから古文はつまらない」そう思って投げだした経験はありませんか? 当ブログではそのような方のために説話の内容を簡単に、かつ明確に解説していきます。日本の原点である当時の説話文学を読んで、古典の世界に浸かってみませんか?

日本霊異記 上巻 電を捉えし縁 第一

こんにちは!文です。

 

新型コロナウイルスのせいで本当に毎日暇ですね……。せっかく家に籠るなら、ぜひ説話文学を読んでみてはいかがでしょうか?

 

さて前回から解説しています『日本霊異記』、今回からはいよいよ説話部分になります。前回の序は少し難しくてとっつきにくかったですが(笑)、今回からはお話になるので楽しく読めると思いますよ。

 

それではさっそく読んでいきましょう!

 

本文

第一段落

少子部(ちいさこべ)の栖軽は、泊瀬(はつせ)の朝倉の宮に、二十三年天の下治めたまひし雄略天皇大泊瀬稚武(わかたけ)の天皇と謂(まう)す。随身にして、肺脯(しふ)の侍者なりき。天皇、磐余(いはれ)の宮に住みたまひし時に、天皇、后と大安殿に寐て婚合したまへる時に、栖軽知らずして参ゐ入りき。天皇恥ぢて輟(や)みぬ。

 

第二段落

時に当りて、空に電(いかづち)鳴りき。即ち天皇、栖軽に勅して詔(のたま)はく、「汝、鳴雷(なるかみ)を請け奉らむや」とのたまふ。答へて白(まう)さく、「請けまつらむ」とまうす。天皇詔言(のたま)はく、「爾らば汝請け奉れ」とのたまふ。栖軽勅を奉りて宮より罷り出づ。緋(あけ)の縵(かづら)を額に著け、赤き幡桙を擎(ささ)げて、馬に乗り、阿倍の山田の前の道と豊浦寺の前の路とより走り往きぬ。軽の諸越の衢(ちまた)に至り、叫囁(さけ)びて請けて言(まう)さく、「天の鳴電神(なるかみ)、天皇請け呼び奉る云々」とまうす。然して此より馬を還して走りて言さく、「電神と雖も、何の故にか天皇の請けを聞かざらむ」とまうす。走り還る時に、豊浦寺と飯岡との間に、鳴電落ちて在り。栖軽みて神司を呼び、轝籠(こしこ)に入れて大宮に持ち向ひ、天皇に奏して言さく、「電神を請け奉れり」とまうす。時に電、光を放ち明り炫けり。天皇見て恐り偉(たたは)しく幣帛(みてぐら)を進(たてまつ)り、落ちし処に返さしめたまひきと者へり。今に電の岡と呼ぶ。古京の少治田(おはりだ)の宮の北に在りと者へり。

 

第三段落

然る後時に、栖軽卒せぬ。天皇勅して七日七夜留めたまひ、彼が忠信を詠(しの)ひ、電の落ちし同じ処に彼の墓を作りたまひき。永く碑文の柱を立てて言はく、「電を取りし栖軽が墓なり」といへり。此の電、悪み怨みて鳴り落ち、碑文の柱を踊(く)ゑ践(ふ)み、彼の柱の析けし間に、電揲(はさま)りて捕へらゆ。天皇、聞して電を放ちしに死なず。電慌れて七日七夜留まりて在りき。

 

第四段落

天皇の勅使、碑文の柱を樹てて言はく、「生きても死にても電を捕れる栖軽が墓なり」といひき。所謂古時、名づけて電の岡と為ふ語の本、是れなり。

 

 

現代語訳・解説 

 

第一段落

まず主人公は、「少子部の栖軽」ですね。彼は雄略天皇随身であったと記されています。

 そんな栖軽はある時、天皇と后が「大安殿」つまり大極殿で男女の交わりを交わしていたところに出くわしてしまいます。嫌ですね~(笑)。天皇は行為を辞めてしまいます。当然でしょう。

 

第二段落

するとその時、雷が鳴ります。天皇は、栖軽に「汝、鳴雷(なるかみ)を請け奉らむや」と尋ねます。つまり、雷を捕まえて来いという無理難題を押し付けたのです。

 

ここは非常に人間味あふれる記述で興味深いですね。天皇は行為を見られたことによる恥ずかしさと、お楽しみを邪魔された腹立たしさを抱いています。そこで、一刻も早く栖軽を遠ざけたい。そんな気持ちから、栖軽にちょっとしたいじわるを仕掛けたと想像されます。いくら天皇とはいえ、当然の心理のような気がします。

 

さて、そんな難題を命じられた栖軽は雷を捕まえるべく出発します。「天皇のお呼びをどうして断れるだろうか」などと言いながら走っていると、なんと実際に雷が落ちていたのです。栖軽はすぐに天皇のもとへ戻ります。

 

しかし天皇は、栖軽が捕らえた雷が光るのを見て恐くなり、元の場所に返させます。

この際天皇が「幣帛を進」っている、すなわちお供え物を用意しているところはポイントですね。当時雷、もっと広く言えば「神」という存在自体が天皇よりも上位であったことがわかります。

 

第三段落

その後主人公の栖軽はなんと死んでしまいます。そして天皇は例の雷が落ちていた場所に彼の墓を建てたのです。そしてなんとご丁寧に「電を取りし栖軽が墓なり」(雷を捕える栖軽の墓です)という碑文を立てます。

 

これには雷さんブチ切れです。屈辱ですもんね。再びそこに落ちて碑文を蹴り踏みます。しかし不運なことに碑文の割れ目に挟まって動けなくなってしまったのです。神なのにすこし情けないですね。結局天皇によって彼は助けられます。

 

第四段落

そして碑文の名前は書き換えられるのです。「生きても死にても電を捕れる栖軽が墓なり」(生きている時だけでなく死んでもなお雷を捕える栖軽の墓です)がそれです。

 

最後に「雷の岡」と呼ばれているのはこのエピソードが由来だという文が挿入されて終わりです。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?雷の擬人化、というのは面白いですね。

 

実際はこのようなことはなかったのかもしれません。少なくとも、現代ではあり得ない話です。しかしこの話は当時、笑い話としてよく伝えられたと推察できます。

 

このように説話は、実際にあったかどうかが問題ではなく、ここからどのような主題(テーマ)を学ぶか、どのような広がりを見せるか、いかに当時の世界観を見て取るか、が重要であると考えます。

 

ぜひ他の説話も読んで、当時の世界線にどっぷりと浸かっていきましょう!

 

それではまた次回お会いしましょう。